有本恵子さんの母親、有本嘉代子さんが死去
1分でわかるニュースの要点
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娘の帰国を待ちわびた有本嘉代子さんが死去
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有本恵子さんは北朝鮮工作員に拉致
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拉致被害者家族の高齢化が進展
有本嘉代子さんの無念
北朝鮮に拉致された有本恵子(ありもりけいこ)さんの母親である有本嘉代子(ありもりかよこ)が死去しました。 あれほど待ち望んだ有本恵子さんとの再会を果たせないまま亡くなってしまいました。在りし日の有本嘉代子を悼みます。
有本恵子さんとの再会は果たせず
有本嘉代子さんは94歳でした。死因はうっ血性心不全とされています。神戸市内の病院で亡くなりました。 有本恵子さんが北朝鮮に拉致されたのが1983年と考えられることから、あしかけ37年娘との再会を待ちわびたことになります。さぞや無念だったに違いないとしかいいようがありません。 最近は体調を崩し報道などでもあまり見かけなくなっていました。告別式は近親者のみで行い、喪主は夫の有本明弘さんでした。
署名活動などを積極的に行っていた
有本嘉代子さんは夫の有本明弘さんとともに北朝鮮拉致被害者家族会で拉致被害者の救済に向けた活動を行っていました。全国各地で講演会や署名活動などを熱心に行い、娘の有本恵子さんの帰国が実現するよう世論に訴え続けました。 「恵子は生きている。子供の顔を見るまでは死ねない。」が口癖でした。 「体調を崩すと、恵子が帰るまでに生きていられるかという思いが頭をよぎる。」とも話していましたが、心臓の手術をしてからは神戸市の自宅での療養が続いていました。
有本恵子さんの拉致事件
有本恵子さんが北朝鮮に拉致されてから40年近くがたとうとしています。そもそも有本恵子さんの拉致事件とはどのようなものだったのでしょうか。 拉致の状況や何が切っ掛けでその事実が判明したのか迫ります。
ヨーロッパ留学中に拉致被害にあう
有本恵子さんは1960年神戸市生まれです。神戸市外国語大学の学生だった1983年ロンドン留学中北朝鮮に拉致されました。有本恵子さんは当時23歳でした。 当初は北朝鮮による拉致事件とはわからず失踪事件として扱われました。 有本恵子さんのロンドン留学に関しては有本嘉代子さんらご両親は反対していた模様です。有本恵子さんは両親の反対に対して一歩も引かず、涙ながらに訴えて留学を押し切ったとされています。
北朝鮮にて拉致被害にあう
有本恵子さんが北朝鮮に拉致されたことが判明したのは、同じ拉致被害者である石岡亮さんが1988年に隙を見て北朝鮮から実家に充てて投函した一通の手紙でした。 そこには石岡亮さんが北朝鮮で長期滞在していることや同じ仕事をしている有本恵子さんの消息などが綴られており、これによって初めて有本恵子さんが北朝鮮に拉致されたことが明らかになりました。 有本恵子さんが北朝鮮にいる可能性が高いことが判明したため、有本嘉代子さんは夫有本明弘さんと一緒に外務省や警察、国会議員事務所などに娘の安否確認を求め続けてきました。
拉致の実行犯とよど号ハイジャック事件の犯人との関係性
北朝鮮による有本恵子さんの拉致が決定的となったのはよど号ハイジャック事件の犯人の一人である柴田泰弘の元妻の証言でした。 柴田泰弘の元妻八尾恵は東京地裁での証言や自身の著書『謝罪します』の中で、「私が有本恵子さんを誘拐しました。」 と証言しました。 これによって2002年政府は北朝鮮の工作員によって有本恵子さんが北朝鮮に拉致されたことを正式に認定しました。